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互心会剣道クラブ
 
 
   庄司幸市先生へのインタビュー

 
互心会 へのインタビューです。
 
今回は、いつも穏やかに 皆さんのご指導に当たられている
庄司幸市先生へのインタビューです。
素敵なエピソードをふんだんに盛り込まれたお答えで、
一層 庄司先生のお人柄がうかがえました。
ご丁寧に達筆でしたためられた封書でお返事 
まことにありがとうございました。
 
Q1.段を教えてください。
 
五段です。但し今年の五月昇段したばかりのホヤホヤです。
 
   すばらしいです! おめでとうございます。
 
Q2.最初に剣道に出会ったのはいつですか。
 
高校に入ってです。入学して一年後に剣道部に入部しました。
中学時代は町道場で柔道を習っていました。二年の時に冬の寒稽古で、
膝を傷めまして、そのため春に新設された中学の柔道部にも入部できず、
一年間を棒に振りました。
高校に入り柔道を再開しようと思いましたが、当時の仲間とは力の差が
あまりにもありましたため柔道を断念、「柔道がダメなら剣道で」
そんな単純な動機で始めたと記憶しています。
高校を卒業後、長い間剣道から遠ざかっていましたが、再開したのは
8年前です。
それは子どもがサッカークラブに入ったことが起因で大人の素人集団の
サッカークラブに入会しました。練習よりは試合が面白く、基本習得が
不十分なままもっぱら体力勝負でやっていました。
ポジションはサイドバックです。
しかし年に再々学校で基本をマスターした人がクラブに入部してきて、
力の差は歴然。段々試合に出る時間も少なくなりました。
「上手な人が出る」団体競技では当然な結論ですが、
個人の感情としては複雑です。結局退会しました。
しかし基本をしっかりとマスターしていればまだまだサッカーを
楽しんでいたかもしれません。
基本を習得できなかったことが今回剣道への道へと導いてくれたことに
なります。まさに「塞翁が馬」といえます。
 
 そうですね、何がきっかけでなにを持たしてくれるか 
過ぎてみてわかることですが
 庄司先生と剣道との出会いは まさに出会うべくして出会われた
のではないでしょうか。
  
Q3.今まで印象に残った試合をいくつか挙げてください。
 
二つあります。私が高校三年の時、県のインターハイ予選の個人戦、
準々決勝の試合です。中々一本が取れず、攻めすぎて疲労困憊。
「このままでは延長戦で体力的に自滅する。」と半ば捨て身的とも思える
面打ちにでました。乾押一郷とばかりに打ち込んだはずですが、
待っていましたとばかりに出小手を打たれ、そして試合終了のベル。
この時点で高校剣道の幕を閉じました。疲れているのは相手も同じ。
我慢比べに敗れ、苦い思い出の試合です。
もう一つは五段の昇段審査の立ち会いです。
審査では身体の動きが非常に軽く、セオリー通りの面打ちが何本も
決まりました。「このままでは相手の人が落ちてしまう。
これでいいのかな」そんな迷いが頭をかすめました。
しかし立ち合いに情は無用との先生方のお教えを思い出し、
その後はただ無心に立ち会いを進めることが出来ました。
これまでに無い満足な立ち合いであったと思います。
おかげで昇段出来たのですが、相手が二人とも不合格です。
一寸心が痛む思いです。しかしその後がいけませんでした。
この時の勝利パターンの残像が強すぎ、三か月後の藤沢市民大会で
同じパターンで戦ってしまいました。年齢層が全く違うのに。
「成功体験は忘れろ」の教訓はまさに正解でした。
 
 またの雄姿を楽しみにしております。
 
Q4.得意技を教えてください。
  
面打ちにこだわっています。しかし思い通りにはいきません。
遅咲きの直木賞作家に山本一力という人がいます。
中学校の息子が剣道をやっており、息子の師は自分にとっても師であると、
その師の教えをエッセイで紹介しています。
「面を打て。気持ちを落ち着かせるために、先取りは小技でもよい。
しかし一本得た後は、面を打て」一度破綻し、株式に再上場した
日航JALのフィロソフィーにも同じような言葉があります。
「土俵の真ん中で勝負しよう」「王道を歩め」の教えで知己であると
心に銘じています。
   
Q5.剣道をやってよかったことはどのようなことでしょうか。
  
「惻隠の情」を知ることが出来ます。
近代スポーツ競技の理念は「フェアプレー」を基点としていますが武道を
根幹としている剣道はより上の理念「相手の人格を尊重する」ことを源
としています。「試合に勝ってもガッツポーズをとらない」その負けた
相手を思う心や姿が「一つの隠の美しさを写しだしているとさえ言えます。
けいこの中で行っている「礼に始まり礼に終わる」を形で表現することに
より「相手の心情を理解する」ことができるようになったことが最大の
収得とおもっています。
社会生活において今日日求められている大切な一つではないかと
私は考えております。
  
Q6.家族で剣道をなさっている方はいますか?
  
A6.残念ながらいません。
長男の子どもが見学にきたらしいのですが早々に退散したようです。
亡き父の弟で若くして亡くなった叔父がいます。
神道無念流の免許皆伝をうけており桐の箱に入った皆伝書が
自宅の神棚に安置されておりました。
中を開いてみたのですが当時も理解できませんでした。
昔の子どものころの話です。
皆伝書は実家が引っ越すとき紛失してしまい行方がわかりません。
今なら少しは理解できるかもしれないのに悔やまれる紛失です。
 
Q7.互心会のみなさんへ一言お願いいたします。
 
これまでの体験を通して一言「自分で自分の限界を勝手に決めるな」です。
茅ヶ崎の合唱サークルに入って2年半になります。大会で歌う練習のとき
指導の先生に弱音をはいてしまいました。「先生これ以上高い声がでません」
師曰く「そんなことありません。自分で自分の限界を決めないで」とやんわり
諭されました。そして結果は師の言われた通りになりました。
子育てを終わった立場で50歳で競輪界にプロデビューした女性がいます。
高松美代子さんといい新聞、テレビで紹介されました。彼女はいっています
「20〜30代の選手と競う毎日だが体力的な限界を感じることはない18歳で
始めたらもう駄目だなと思うかもしれないけど今始めたばかりだから
頑張ればいくつになっても続けられると感じます。
この年になってこんなにわくわくさせてもらってお得な人生です」と
私の場合剣道のけいこでは自分の年齢を考えないようにしています。
そうでないと自分で自分の限界線を引いてしまいます。
といっても猛稽古はやりません。(笑)
体調に合わせて「もう一回頑張ってみよう、もう一歩踏み出してみよう」
そんな心積りでやっています。
何人これまでやってこれたのもこのことがプラス思考として働いてくれた
のではないかと思っております。
最も自分に都合の悪いときには「年だから」という
逃げ場を作っていますが・・・・
  
ひとつひとつに ご丁寧にお答えくださり ありがとうございました。
これからも、ますます 互心会のために、
ご尽力いただきますようお願い申し上げます。
 
  
  
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