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互心会剣道クラブ
 
 
   互心会会長 萩本健吾先生へのインタビュー[1]

 
■ 段を教えてください。
 
現在、六段です。称号はありません。
※称号というのは、段位に伴う「錬士」「教士」「範士」のことです。
 
■ 最初に剣道に出会ったのはいつですか?
 
中学一年生のときです。
中学校の部活に入部して始めました。
当時は、「森田健作」の「おれは男だ」が放映中で、父の勧めもあり剣道を始める
こととなりました。
でも、防具を付けて竹刀を持って海を走ることはありませんでしたが・・・
お〜 親世代の私たちには 懐かしい番組ですね!!
  
■ 互心会(以前のカントク(関東特殊鉄鋼剣道会でいいでしょうか)には
 いつから、参加されたのでしょうか。
 
 NTTの社宅に住んでいる平成11年頃からです。
一番古い資料の日付が、平成11年になっていましたのでその頃だと思います。
まだ、カントクの体育館とは別に、道場があり、防具組みは道場で、防具無し組は
体育館で稽古を行っていましたね。
 
あれれ〜  では、やはり、うちのほうが先にカントク剣道部に
入れていただいていたのですね。
萩本先生の方が ずっと前から 先生としていらしてくださっていたような
気がしていました。
 
■ 今までで 印象に残っている試合をいくつか教えてください。
 
2008年(平成20年)のNTTグループ大会の団体戦優勝の試合です。
毎年全国のNTTグループの会社対抗で剣道大会が開催されるのですが、
私はドコモAチームで出場しました。
私は大将でしたが、年齢制限があるので、大将になれたという事情です。
他の4人は、関東実業団大会や全国実業団大会の優勝チームの選手で
バリバリの現役です。
他メンバーに迷惑を掛けられないというプレッシャーの中、他メンバーの応援もあり
なんとか大将の役目を果たすことができました。
優勝できるとは思っていなかったのでとてもうれしく思いました。
※NTTグループ大会の記録は、「全日本剣道連盟ホームページ」の「後援大会」にも
記載されています。
 
すごいです!! さっそくHPにいってみます。
  
昨年、遥くんと一緒に出場した「藤沢市の練成大会」です。
小学生だった「遥くん」が大学生になり、一緒にチームを組んで出場した試合は
感動ものでした。賞を取ることはできませんでしたが、成長した教え子と一緒に
戦えたことは、剣道の素晴らしさを改めて感じた試合でした。
 
まあ ありがとうございます。子どもたちも、先生がたとご一緒に試合に出させて
もらえるようになって大変喜んでいます。
 
余談ですが、
中学2年生の時、私の中学校の道場に「寺地種寿先生」の学校が練習試合に来ました。
その際、寺地先生と試合をしたのですが、小手を一本取りました。
当然二本取られて負けたのですが。
僕の心の中の小さな自慢です。
寺地先生は、中学一年、僕は中学二年のときです。
 
寺地 種寿先生とは1960年生まれの剣道家ですね(教士八段)。
警視庁警察官・元剣道日本代表。
現在、警視庁剣道指導室師範・東京大学剣道部師範。
実弟は三人(警視庁に2人、皇宮警察に1人)おり、「寺地四兄弟」としても知られる。
と ありました。そのような方から 小手を取られたとは本当に素晴らしい
経験をなさったのですね。
 
■ 得意な技は、何ですか?
 
身長があるので、面技と思われがちですが、安心して打てるのは「小手」です。
面を打っていくのは怖いですね。
小手から攻めていく攻撃パターンが多いように思います。
 
 まあ 本当に、面技だと思っていました。
  
■ どんな相手が苦手ですか?
 
フェイントを使う相手が苦手ですね。根が素直なせいか、だまされやすいようです。
それから、最近は歳を取ったせいか、若い人の早い動きについていけなくなりました。
 
 先生は いつもお強いので もしかしたら苦手なタイプなどないよ とおっしゃるかと
思いましたが
 そうですか〜 素直な先生はフェイント攻撃に弱いのですね(笑) 
 
■互心会の皆さんへ 一言お願いします。
 
互心会の指導者は、皆さんやさしくて子供たちの指導に一生懸命な先生ばかりです。
だから、子供たちも一生懸命稽古や試合に取り組んでくれているのだと思います。
また、そんな互心会なので、教え子たちも高校生や大学生になっても稽古に
きてくれるのだと思います。
教え子たちが成長して、今度は指導者になり互心会がずっと継続していける
ようにしたいですね。
   
    
    》》 互心会会長 萩本健吾先生へのインタビュー[2]ヘ続く
 
  
  
 
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